生きる意味が見いだせない私はどう生きればいいのか

その答えを、最近は宗教に求めつつあります。

どうやらこれは、心理学は答えてくれないと分かったので。

(哲学でいうと生きる意味などない、と言われますが・・・)

 

で、参考になりそうだなと読んでいるのがこの本

 この本は、生きる意味は教えてくれませんが、

生きる意味の「見出し方」を、仏教を通して書かれています。

 

語弊を恐れずに超ざっくらばんに言えば、「何も考えるな」ということでしょうか。

深呼吸や、一生懸命掃除をする等、精神統一をする行為を行(ぎょう)と呼ぶらしいのですが、

これらを初めとして、瞑想等を行い、

怒りや妬みや欲に左右されない静かな心により自分を見据えることで、

自分にとっての生きる意味が見いだせると著者は言われています。

(違ったらすいません

大事なのは、これらを「理由無く」行うということのようです。

 

就職するまでの僕は、毎日を欲と惰性に任せるだけでした。

就職してからは、それではダメだと思い、何かを行うには、必ず目的をもって行動するよう考えていました。

会社では目的は大事かもしれませんが、日々の生活では、「目的」が先にきて行動される方なんて、ほとんどいないのではないのでしょうか。

 

朝起きる。顔を洗う。朝食で頂きますという。うんこする。行ってきますといい、外での活動を始める。

これらをする理由はいくらでもありますが、理由を考えてしている人はほとんどいないと思います。

ですが、これができている方は、スッキリした、すがすがしい朝を迎えられていると思います。

 

このようなことにも理由や目的を考えて行動するとなると、それは返って難しいことなのではないのでしょうか。

逆に、何も考えずにすがすがしい朝を迎えられたら、最高ですよね。

僕的には、これだけでも、生きる意味が見出せないまでも、

しにてぇぇぇーなんて思うきっかはかなり減らせるのではないかと思うのです。

 

「理由なく」っていうのは、理由を付けてやらない事を選ぶ前にサッと行動に移すためには有効だと思いますし、

条件付き自尊心の上の段階である、「無条件の自尊心」、「自尊心を問題にしない」にたどり着くためにも、

大事なことではないのかなと思いました。

 

あれ、なんか理由考えてるぞ。

もう今日は寝ます。

明日できるだけいい朝を迎えた上で、難しいことは、相談しながら考えようと思います。