続パーソナリティ障害

http://asair.hatenablog.com/entry/2014/01/30/193923

 

で、部分部分しか当てはまらないなとこんなこと書いたけど。

読み返してみて色々分かってきた。

 

私は物心がついたころから虐められていた気がします。

保育園から毎日泣いていた記憶しかないです。

もう毎日行きたくなかった。泣いて抵抗していました。

小学校になって集団登校になると毎日のように集合時間に遅刻。

中学で部活に入って朝練にも遅刻。

高校でも部活をやめて毎日遅刻。

ときたまズル休み。

友達との約束はドタキャンしてゲームにふける。

あーこれ回避性パーソナリティやわーまぁ障害ってレベルではないので性格やなー

 

PCに拘るようになったきっかけは小3のときの友人との会話。

「お前はいいよなーパソコンできて」

友人がそういう風に思ってるとは思わなかった。

私からしてみたらただの趣味だったのだ。

それから、よりPCに拘るようになった。

親父が買ってきているアスキーとかPC雑誌を読むようになった。

 

転機となるのは高校のときにたまたま機会があったプログラミングのコンテスト。

たまたまにたまたまが重なって3位。

それから私はより一層PCに拘るようになった。

当時私は部活をやめ、華麗な高校デビューを果たした後の

徐々に俺の本性が出始め活発な子とか女の子とかから縁がなくなり、

オタクたちとの会話にもなじめず昼食の時間が苦痛だった。

もう私が私でいるにはプログラミングしかなかった。

 

一方で、私はプログラミングの才能がなかったのを当時から何となく察していた。

なかなかはまることができなかった。

プログラミングにはまることができたのは大学1年のゲームプログラムでようやくできたことである。

 

たまたまのきっかけでプログラミングサークルを作らないかと先生から誘われ、

そこからとんとん拍子に色々な体験ができた。

プログラムのバイトなども体験できた。

そういった経験がある一方で、私はより一層自分に才能が無いのを自覚していく。

しかし私が私であるにはPCしかなかった。

私が素晴らしい方と出会うきっかけはPCしかなかった。

私は私がデキル人間とアピールするため、過剰な自己演出をするようになった。

当時親しかった先輩方には「正義ぶっている」「中身が無い」

といったことは当時から言われていたが、よく理解できなかった。

そのままテンプレにはまっているわけではないが、演技性パーソナリティの気があると今になっては思う。

まぁこれも実生活には障害は出ていないので性格の範疇である。

コンプレックスを克服するためにひたすら行動していたとも解釈でき、

これはこれでいいだろうとも思っている。

ちょっとしたきっかけで家にちょくちょくひきこもっていた。

家に同輩や先輩方が突撃しにきたこともあった。

回避性は未だに残っている。

 

大学院に入ってから、友人たちと一緒にコンテストで賞などを頂く一方で、

研究はからっきし進まなかった。

そして自信を喪失し休学。

復学してからも、自身は回復しておらず今に至る。

私のアイデンティティをPCとする一方で、それに自身が無い。

 

まぁでも私みたいに自分が自分となす物事に才能が無い、なんてことはまぁあるパターンみたいだ。

才能が無いのを自覚しているからこその手もある。

俺の目指すところはダイソーの社長なのかなぁと近頃は思う。